映画「生きる」を観た
黒澤明監督の映画「生きる」を観ました。
同じ「黒澤」の姓ではあるものの(ちなみに親戚関係は一切ありません)、黒澤明監督の映画はあまり観たことがなかったのですが、とても素晴らしい作品でした。
ストーリーはWikipediaに詳しく書いてありますので、そちらを見ていただければと思いますが、要約しますと、役所に勤務し、事務作業を淡々とこなすだけの日々を送っていた主人公が胃がんに冒され、余命数ヶ月となり、紆余曲折を経た結果、市民の要望であった公園を完成させることを決意し、これを成し遂げるという話です。
個人的にとても良いなと思ったのは、主人公の行動に触発された市役所の同僚たちが、お役所仕事をやめようと意気込むものの、結局は元通りの日々になってしまうというところです。
おそらく、黒澤明監督は、こういった一時的で感傷的なやる気というのは、長くは続かないということがわかっていたのではないかと思います。
では、何が必要か。
それは、やはり主人公が抱くに至った
「志」
なのではないかと思います。
そして、この「志」を抱いて、これを成し遂げようと行動することこそが、「生きる」ことなんだと思います。
市役所は元通りになってしまいましたが、主人公が成し遂げた「志」の先には、子供達の笑顔で溢れる公園が残りました。
人生には「志」が必要なんだなと、改めて考えさせられました。
余談ですが、この映画は1952年に公開されたようですが、終戦から7年しか経っていないので、日本人て凄いなと思わされました。
名作だと思いますので、みなさまも是非ご覧ください。
優れた経営者等の思考は全く違う
誹謗中傷に対する心構え
近年では、SNS等における誹謗中傷が社会問題になっていますね。誹謗中傷に対しては、損害賠償請求や刑事告訴などの法的手段も考えられるところではありますが、これらによって対応するには限界があるのが現状だと思います。
それでは、誹謗中傷に対してどう対応すべきか。その1つの方法として、誹謗中傷に対する捉え方ないし解釈を改める、ということが考えられるのではないかと思います。
私は誹謗中傷に対しては、以下のように捉えるべきではないかと考えます。
1.一定の成果を出している証左であること
2.何かを成し遂げるための試練であること
3.味方になってっくれる人のために戦うべきこと
4.自分の評価は自分で決めるべきこと
以下、順番に解説します。
1.一定の成果を出している証左であること
誹謗中傷の原因は、実は嫉妬であることが多いのではないかと思います。すなわち、一定の成果を出しているからこそ、人々の目に留まり、一部の人から誹謗中傷を受けるという流れになっています。
逆に言えば、何らの成果も出していない人や注目に値する言動をしていない人には、誹謗中傷は発生しません。最近では「炎上」というキーワードが話題ですが、簡単には炎上させることはできません。SNS等を観察していればわかりますが、実は、単に過激な発言をするだけでは全く見向きもされません。炎上させること自体、そう簡単ではないのです。
なので、誹謗中傷が発生しているということは、成功のメルクマールと捉えてよいのではないかと思います。あなたが行っていることは、一定の社会的価値ないし意義があることなので、安心してください。
2.何かを成し遂げるための試練であること
上記1と同様ですが、何かを成し遂げようとする場合、必ず試練が訪れます。誹謗中傷も、その試練の1つと捉えることができるのではないかと思います。
どのような映画でも漫画でも、必ずや敵が現れますね。ドラゴンボールでも、悟空の前にサイバイマンが立ちはだかるときがあるはずです(記憶がややあやふやなので違ってたらごめんなさい。)。そうです。誹謗中傷している人達は、サイバイマンみたいな役割を担っているだけなのです(誹謗中傷するレベルの人でベジータみたいな大きな脅威となるような人はいないです。)。
誹謗中傷された場合、まずはそれに苦しむこともやむを得ません。ただその後に、それに対する解釈を改め、試練と捉えて、乗り越えていくべきこともあり得るのではないかと思います。
3.味方になってくれる人のために戦うべきこと
誹謗中傷を受けた場合、それをしてくる人に目を向けがちです。時には、誹謗中傷してくる人に対して逆に攻撃を仕返したりして、「炎上」の状態になってしまうこともあるかもしれません。
しかし、よくよく考えてみれば、誹謗中傷をしてくる人の相手をする必要はありません。もちろん、真っ当な意見であれば耳を傾ける必要はありますが、誹謗中傷には何の価値もありません。その人達に対して、何かを理解してもらう必要もありません。無駄なエネルギーを使う必要はないのです。
本来やるべきことは、味方になってくれる人や応援してくれる人の期待に応えることなのではないでしょうか。誹謗中傷を受けたことによって自暴自棄になり、あるいは誹謗中傷してくる人達だけを意識してしまい、味方になってくれる人達を蔑ろにしてしまうのは、背信的な行為といえます。
誹謗中傷をしてくる人達ではなく、味方になってくれる人達に意識を向け、その方々のために何ができるかを考えていくべきではないでしょうか。
4.自分の評価は自分で決めるべきこと
そもそもですが、誹謗中傷してくる人の発言内容は正しいのでしょうか。その人達はあなたのことやあなたの周囲の事情をどれだけ知っているのでしょうか。他人の言うことなんて、全く当てになりません。たとえば、他人から「馬鹿」「ブタ」等と言われたとして、実際にあなたが「馬鹿」ないし「ブタ」であることはないでしょう。
自分の評価は、自分自身で決めなければなりません。これは誹謗中傷を受けた場合に限らないと思います。よく、他人の評価ばかり気にしてしまう傾向の人もいますが(どちらかといえば自分もこちらのタイプです)、それゆえに行動が制限されてしまい、自分の思い通りの人生を歩めなくなってしまいます。一度きりの人生なので、それはとても勿体ないことだと思います。
もちろん、他人の意見に耳を傾けることは必要ですが、それを踏まえたうえで、自分の評価の最終的な決定権者は自分のはずです。自分の評価は自分で決定しましょう。そして決定したら誹謗中傷の内容は忘れましょう。その決定が絶対的に正しいことは間違いありません。自分の決定に自信をもってください。
以上のとおりですが、少しでも参考になれば幸いです。誹謗中傷を乗り越える1つの手段として、ご活用ください。
なお、誹謗中傷に対して法的措置を希望される場合のその可否等に関しては、別途ご相談ください。
目に見えないものこそが重要
みなさんは、目に見えないものを重要視していますか?
なんのことかわからないかもしれませんが、目に見えないものこそが重要で価値があると、私は考えております。
もちろん、目に見えるものも重要です。たとえば、お金や家や食べ物といったものは、なくてはならないものなので、重要であることは間違いありません。
しかしながら、こういったものは目に見えるものなので、誰でも認識することができます。その結果、やや語弊があるかもしれませんが、価値としては、目に見えないものよりは劣るのではないかと思います。
一般論としては、男性は論理的に考える傾向が強いので、目に見えるものを重要視する傾向にあると思います。たとえば、知人の経営者の男性は、頭の回転が速く、論理的かつ合理的に物事を考えすぎてしまう結果、目に見えないものについては全て切り捨ててしまっておりました。
他方で、女性は、明確に意識しているかどうかは定かではありませんが、少なくとも、目に見えないものを意識する傾向にあるような気がしております。
それでは、目に見えないものとは何を指すと思いますか?
私が「重要」であるといっているのは、占いの結果とかそういう類いのものではありません。目に見えないもののうち、力や影響力をもつもののことです。
たとえば、会社経営であれば経営理念や行動指針がそれです。その他の団体の場合には、目的の共有などです。
なぜ、これらが重要なのか。それは、ホモサピエンスがネアンデルタール人に打ち勝ち、現在まで生き残る秘密がそこに隠されているからです。
詳しくは「サピエンス全史」(ユヴァル・ノア・ハラリ著)という本をお読みいただければと思いますが、ホモサピエンスが団結して行動できた理由は「虚構」(と表現されています。)を共有できたからです。通常であれば、150人程度しか情報伝達ができないところ、「虚構」がこれを超えることを可能にした結果、ネアンデルタール人に打ち勝てたと言われています。
ここでいう「虚構」は、会社経営に当てはめれば、「経営理念」や「行動指針」ということになると思います。
その他にも、私達は、見えない力に影響を受けています。こちらも、「影響力の武器」(ロバート・B・チャルディーニ著)という本を読んでいただければわかるかと思いますが、人は知らないうちに、目に見えない力によって動かされています。ちなみに、私はこの「影響力の武器」に登場する6つの法則を、よく交渉などに使用します。
いずれにせよ、私達は何かを成し遂げたい、成功させたいのであれば、こういった目に見えない力の存在を認識したうえで、積極的に活用する必要があるのではないかと思います。
私の仲のよい経営者の中には、こういったものを重視し、活用方法を極めている方もいらっしゃいます(世の中怖いですね〜)。
今までこういったことを意識していなかった方も多いかと思いますが、これからは是非意識してみてください。
方法としての「感謝」
みなさんは「感謝」という行為をしていますか?
もちろん、誰かに何かをしてもらったときには、お礼として感謝をすることはよくあることかと思います。
ただ、私は、それ以外に、普段の生活において何も起きていない場合でも、
「敢えて感謝をする」
という行為が必要なのではないかと思います。
これによって、精神的な安定を得ることができると考えております。
どういうことかと言いますと、
みなさんは、現状の生活に満足しているでしょうか?
満足している方もいるかとは思いますが、
多くの方は、何らかの不満を抱えているのではないかと思います。
たとえば、親がガミガミうるさい、上司から変な命令ばかりされる、部下が指示どおり動いてくれない等、日常生活において不満は尽きないのではないかと思います。
最近では、「親ガチャ」等という言葉も流行っているとおり、自分は親ガチャに外れたなんて不幸な人間なんだろうと思っている方もいるでしょう。
本当に些細なことでは、たとえば、近くのコンビニの店員の態度が気に食わない、といったこともあり得るかもしれません。
このように、不満は尽きません。
しかし、よく考えてみてください。
世界は年々進歩しています。最近ではスマートフォンで何でもできてしまいますが、20年前はスマートフォンはありませんでした。
Netflix等、観たい映画がいつでもすぐに観られるということは全く考えられませんでした。
家電や家具も進化しており、便利なものが次々に誕生しております。
オンラインで利用できる様々なサービスも誕生しております。
このように、世界は常に進化しており、私達の生活は日を追うごとに良くなっているのです。
先日、プロ驕ラレヤーさんという方が、とある配信で「豊臣秀吉って、ファミチキ食えないじゃん」と言っていたのですが、ご指摘のとおり、私達は、間違いなく天下を統一した豊臣秀吉よりも、よい生活を送っているのです。
なのに、なぜ不満が尽きないのでしょうか。
理由は様々かと思いますが、何らかの原因によって、不満の方ばかりを意識せざるを得ない精神状態になってしまっているのではないかと思います。
そこで必要となるのが、「感謝」という行為だと思います。
これにより、足りない部分だけではなく、現状、ある部分への認知も獲得することができ、心の状態を正常に保つことができるのではないかと思います。
どんなに不満があり、精神的に辛いときであっても、まずは「感謝」をする。
現状のある分について感謝をする。敢えて感謝をする。
無理矢理にでも感謝をすることが、一日を過ごすうえで必要なのではないかと思います。
とある経営者の方は、毎朝一番初めにこの「感謝」という行為を行うと言っていました。
是非、一度試してみてください。
心がすっきりするような感覚が得られるのではないかと思います。
まずは精神を整えたうえで、一日の物事に臨むことが有効だと思います。
感謝から始める、そんな生活もアリかもしれません。
お勧め本の紹介:「飲茶」さん
最近読んだ本で良かったものの紹介です!
今回は、「飲茶」さんという、作家単位でのご紹介です。
本の題名に「史上最強」などとあるとおり、難解な哲学等の話をとても分かりやすく、かつ親しみやすいように書かれています。
社会に通用する教養のとっかかりを知りたい方には最適だと思います。
以下、それぞれ簡単な感想です。
・「史上最強の哲学入門」
ソクラテスなどの古代から現代に至るまでの西洋の哲学の流れを解説した本になります。
知の巨人達によって発見された「真理」が、時代を経るごと現れる新たな知の巨人によって次々に打ち破られます。人類共通の絶対的な真理はあるのでしょうか。
高校生のときに倫理の授業で少しだけ哲学の話がありましたが、この本を教科書にすべきなのではないかと思いました。
・「史上最強の哲学入門 東洋の哲人たち」
インドの仏教から始まる東洋哲学に関する本になります。
実は読む前は全然興味がなかったのですが、飲茶さんの本の中で一番面白かったです。仏教は元々は哲学だったのですね。
みなさんは「悟り」の境地に達することができるでしょうか。
この本を読めば、「私」が実は無敵であることがわかります。
また、よく法事などで唱えられる般若心境の意味などもわかります。般若心境はただのおまじないのようなものではないのです。
・「飲茶の『最強!』のニーチェ」
「神は死んだ」等で有名なニーチェの思想を解説した本になります。
ニーチェに関しては、ルサンチマン、ニヒリズム、永劫回帰、超人思想などのキーワードを聞いたことがある方は多いと思いますが、その意味内容を理解することができます。
私はニーチェの思想にとても共感できます。普段、ぼんやりと考えていたことが、ニーチェの思想によってより明確になりました。
生きる意味がわからない、といった現代のニヒリズム的な状況下において、どうあるべきかを知りたい方にとっては、良い本だと思います。
・「正義の教室」
みなさんは「正義とは何か」と言われ、答えることができるでしょうか。
この本は、「正義」に関して、功利主義、自由主義、および直観主義の3つの視点から、物語形式で説明されています。
果たして絶対的な正義はあるのでしょうか。
世の中には色々な方がいて、話が全くかみ合わないなという方に出会うことも多いのではないでしょうか。でも、この本を読めば、その理由がわかり、そういった相手のことを少しは認めてあげることができるようになるかもしれません。
・「哲学的な何か、あと数学とか」
この本には、フェルマーの最終定理の内容とその証明に挑んだ数学者達の戦いの歴史が書かれています。
数々の天才達が挑み、散っていった超難問。ゲーデルの不完全性定理によって、数学の限界が証明されてしまったなかで、それでも正解があるとして挑み続けた人々の物語です。人類ってすごい。
哲学に関してはあまり触れられていませんが、読み物としてもとても面白かったです。
・「哲学的な何か、あと科学とか」
この本には、相対性理論から量子力学に関する話と哲学に関する話が書かれています。
私は科学分野の知識があまりなかったので、それに触れることができてとても興味深かったです。
この本を読むと、正直、頭が混乱します。今まで自分が正しいと思っていたことはいったいなんであったのか。科学をもってしても、絶対的に正しいということを、発見することはできないのでしょうか。自分の既成概念を壊すきっかけとして、良い本ではないかと思いました。
以上のとおりですが、全体に共通していえることは、「絶対的に正しいことなんてない」ということです。
科学も数学も哲学も、絶対的に正しいものを解き明かすことはできませんでした。前二者に関しては、限界が存在することが証明されてしまってさえいます。
なので、私は、たとえば誰かから突拍子もない話を言われたとしても、それを受け入れるようにはしています。もしかしたら、その方の話が正しいかもしれないから。
このように、絶対的な真理がない中で、私達はどうすればよいのでしょうか。
私なりのひとまずの答えとしては、一人一人が自分自身の固有の哲学を構築することではないかと考えています。
みなさんは、どのように考えますか?